『最善』とは

ひと昔前は医者の言うことは絶対だった。って医者の大先輩から聞かされることが多い。

専門家の言うことは正しい(ことが多い)っていうのは真っ当な意見な気がする。でもそれが患者にとって『最善』なのかは別問題だ。

緩和ケア科の実習の中で改めてそのように感じる。

医者は1パーセントでも改善する見込みがあれば治療しようとする。それが医者の患者に対するベストを尽くす態度だからだ。しかし実際はその治療の中には患者に対して不利益を与えるものも含まれている。副作用のキツイ化学療法や侵襲性の高い外科手術などがこれにあたる。

基本的には患者の幸せのために医者は存在し、そのためにベストを尽くす。でも、『ベストを尽くす』=『治療行為を行う』になっている医者が多いんじゃないかと思う。なぜなら全ての治療行為は病態を改善する可能性が多かれ少なかれあるからだ。よって病気の患者に対しなにもしないということは医者としてかなり勇気のいることであると感じる。とりあえず○○してしばらく様子見しよう。こういう場面はよく見る。でも実際患者にとっての利益になるのであろうか。患者が先生もうシンドイから治療はやめてくれって言われて本当にやめることができるのだろうか。

この問題の結論は出てない。

実際患者の治療で患者に起きることはやってみないとわからん(患者も医者も)からである。

 

緩和ケア科では患者の命をどう終えるかということだけではなく、患者に残された生命をどれだけ有意義に過ごすかということに着目して医療を行なっている。

自分が行ってるところはボランティアさんが患者にお茶お菓子を出したり、患者と絵葉書を一緒につくったり、病室に花を持ってきたり。少しでも生きがいになる何かを作ってくれる。

患者にとって何かプラスになれば、これから待ち受ける辛いことも少し楽に生きていける。もしかするとそういった小さな『善』が患者にとっての『最善』なのかもしれない。って思ったり思わなかったり。