仏教

仏教の考え方はいつもその通りだと思うことが多い。だから仏の教えを読むのは結構好きだ。そんな仏教の教えの中に不殺生戒というものがある。これは悟りを求める修行する上で守るべき5つの戒律のうちの一つである。読んで字のごとく「殺生はするな」という意味だ。

 仏陀は雨期になれば虫を踏みつぶさないようにと外出は控え、安居(あんご)という聞法会を開いた。乾期になり、お釈迦様が各地へ御説法に向かわれる際には、すり足で歩いて大地の生き物を殺さない様に気をつけていた。水を飲むときでさえ布で濾過していたそうだ。

(仏教の不殺生(アヒンサー)の教えは 生命(いのち)あるものを殺すな というだけでなく 自他の生命(いのち)を生かす、大切に生きるということである真宗大谷派 福浄寺 『過去の今月の言葉』参照)

ただし、現代社会の生活は生き物の殺生無しでは成り立たない。食べることももちろんそうだが、科学の発展のために行われている動物実験もそんな殺生のカタチの一つだ。食べることに関しては僕は仕方のないことだと思う。どんだけガマンできても食べないと亡くなってしまうのでこの殺生はある意味必要悪だと思う。しかし、動物実験はどうなんだろうか。いくら科学の発展のためとはいえ、生まれてきた動物や植物たちを殺す理由にはならないと思う。なぜならそれは必ずしも人間の命には関わらないからだ。もちろん、新薬の開発によって助かる命もあるからそういう意味では必要かもしれないが、健康な人間にとっては薬は必ずしも必要とはいえない。少なくとも命には別状はない。

僕も無駄な殺生はするべきではないと思う。なぜなら生命というものは全て平等であるべきだからだ。たとえゴキブリだとしてもそれは尊い命であって、キリスト教のような人間は偉いという考えは間違っていると思う。科学はキリスト教のような人間本位の思想に基づいて生まれたから仕方のないことなのかもしれないが、人間本位の科学は殺生の無い科学へと変わるべきなのだと思う。まぁたぶん数十年後には動物実験に対する倫理観も変わることだろうと思うがね。